セメントのまち・津久見で
大人の社会科見学!
大分県の南東部にある津久見市をご存知ですか?
国内屈指の良質な石灰石の産地として知られ、市の一部に「セメント町」という地名がつけられるほど、古くから暮らしのなかに石灰石が根づいているまちです。
今回は、津久見市観光協会の大塚好裕さんの案内で、市内の関連スポットを巡ってみました!
生産量・埋蔵量ともに日本を代表する石灰石の産地
まず訪れたのは、津久見駅から歩いて13分ほどの場所にあるセメント町。セメント工場の門前町とも言われており、このエリアの北側には多くの工場が建ち並びます。
津久見で石灰石が産物になったのは江戸時代のこと。1916年のJR日豊本線(にっぽうほんせん)・臼杵(うすき)-佐伯間の開通を機に、翌年には本格的なセメント生産がスタート。今やその生産量は年間約2500万トンと国内有数の量を誇ります。
「セメントは石灰石を原料にしてつくられます。そのセメントに砂利や水を混ぜると、私たちがよく知るコンクリートになるんですよ」と大塚さん。
コンクリートの原料となるセメントの生産をまちの主な産業とし、名づけられたセメント町という地名。この珍しい名前は、国内ではほかに山口県の山陽小野田市にしか登録されていません。
セメントの原料となる石灰石の鉱山に恵まれている津久見市。現在では、およそ210万平方メートルの広さを誇る鉱山があると言われています。その広さを東京ドームに換算すると、なんと約45個分!
なかでも、津久見市で一、二を争う規模だったのが胡麻柄山(ごまがらやま)と水晶山(すいしょうざん)です。ゴマや水晶など身近なものの名前がつけられた由来を大塚さんは、このように教えてくれました。
「胡麻柄山の石灰岩の露出がゴマの茎の模様に見えたみたいですね。水晶山は、石灰岩洞窟の石に朝日が当たるとキラキラ光って水晶のように見えたことから、それぞれの名前がついたと言われています」
今では長年続いた採掘によって、景観も大きく変化。胡麻柄山の削られた跡が白くむき出しになったり、すっかりなくなってしまった水晶山の跡地が東九州自動車道の津久見インターチェンジや道路になったりと、歴史を感じさせます。
その水晶山の跡地からほど近く、セメント町から少し西へ向かったあたりに、頭上を太いパイプライン(ベルトコンベア)が横切る珍しい光景が目に飛び込んできます。
「内陸の鉱山で採掘された石灰石がこのパイプの中を通って、港湾部にある工場に運ばれていくんです」と大塚さん。この先にある工場地帯はどうなっているのでしょうか?
昼も夜も非日常の景観が広がる工場地帯
工場地帯があるのは、セメント町の北側。本来、それらの敷地に立ち入ることはできないのですが、津久見ならではのユニークな体験をすることも。
工場群の中、それも各工場の敷地内を突っ切る県道217号(臼杵津久見線)を車で走れば、そこはまちの景色が一変したかのように、むき出しの鉄骨やパイプが広がる無機質な世界。絶え間なく響き渡る作業音も相まって、まるで異空間に迷い込んだかのような気分を味わえます。
日が暮れてこれらの工場群に灯りが点ると、また日中とは異なる幻想的な眺めを生み出します。観賞のおすすめスポットは、津久見駅から徒歩5分ほどの場所にある〈つくみん公園〉。港越しに、工場夜景をパノラマで見ることができますよ。
目の前に広がるのは、海岸沿いにずらりと建ち並ぶ工場群。そこで精製されたセメントなどは、船で日本各地、さらには海外へと運ばれていきます。
広範囲にわたってリアス式海岸が続く地形も、石灰石産業の発展に大きく影響したと大塚さんは話します。
「このあたりの地形は、リアス式海岸特有なんです。岸から離れるとすぐ海が深くなっていて、波も穏やか。そのおかげで、運搬用の大型船が入り江の奥深くまで入ってこられるうえに、停泊しやすくなっているんです」