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フォロワー4.8万人、累計再生1530万回超え!
話題のSNSショートムービー
『あの卓が気になる』監督の吉田安さん

Posted 2025.09.19
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SNSで話題のショートムービー
監督は大分市出身の吉田安さん

居心地の良さそうな居酒屋のカウンターに、仕事帰りの仲良し女子3人。おつかれさまの一杯から、会話はほどけていって……

Instagramのフォロワー4.8万人、累計再生回数1530万回超えの話題のショートムービー『あの卓が気になる』。

たわいもない会話。でも見ていると「うんうん」とうなずいたり、「いや、それは違くない?」なんて心の中でツッこんだり。次第にL字カウンターの2席離れたところでのぞき見しているような感覚になり、聞き耳を立ててしまいます。

企画・監督を手がけるのは、映像ディレクターの吉田安(やす)さん。実は吉田さん、大分県大分市出身。創作の原点には、生まれ故郷である大分での暮らしがあったといいます。

吉田さんとの待ち合わせ場所は、『あの卓が気になる』の舞台にもなった〈海鮮居酒屋 恵比寿 本丸〉。

Information
海鮮居酒屋 恵比寿 本丸
address:東京都渋谷区恵比寿1-4-1 恵比寿アーバンハウス 1F
tel:03-5421-0303
営業時間:17:30〜23:00、土曜〜22:00
定休日:日曜・祝日
web:海鮮居酒屋 恵比寿 本丸
吉田安さん
“あの卓”の画角だ……! このカウンターに3人が並んで、とりとめのない話題を繰り広げます。

この卓で、大人気のショートムービーについて、そして故郷への思いや創作の原点について、吉田さんにお話を聞きました。

なんでもない酒場の会話に引き込まれる
不思議なショートムービー『あの卓が気になる』

ショートムービー『あの卓が気になる』は、見ず知らずの他人の会話なのに、笑って、共感して、自分ごとに落としこんだりしながら、いつのまにか一緒に飲み会に加わっているような不思議な感覚になる作品です。

「だらだらとどうでもいいことをしゃべっている女の子の話。でも、耳に入ってくるうちに気になって仕方なくなっちゃったり、ついクスッと笑っちゃったりってあるじゃないですか。それをプロの手によって笑えるコンテンツにしたかったんです。居酒屋の会話の“瞬間最大風速”みたいなものがずっと続けば楽しいんじゃないかと思って」と、吉田さん。

455万回以上再生された『男がワンピースとか刃牙の例えばっかしてきて腹立つから女版やる』をはじめ、『マッチングアプリ1枚目の画像の正解マジ何なの?』、『Eテレじゃなくギリ教育テレビ世代』など、ついクリックしたくなるタイトルが並びます。さらにはお土産のサブレや、最寄りのコンビニの最適解にギャルの定義、平成ドラマの最終回と、言ってみればどうでもいい話なのに、なぜか、この3人だとどんな会話になるのか気になってしまう。

「そもそも、わけわかんないことを真顔で言っている友だちが好き。誰にも理解されないことを一生懸命言い続けているとか。登場する3人にとって、自分は“普通”なんだけど、3人それぞれが普通だと思って喋っていることが、はたから見たらおかしい。『お人形さんみたいって褒められたんだけどさ』『いいやん』『それがレゴでつくった人形だったら最悪じゃない?』とか(笑)」(※投稿「『お人形さんみたい』はレゴ人形の可能性もあるからマジで人形による」参照)

もともと子どもの頃からバラエティやコントが好きだった吉田さん。

「バカリズムさんや東京03さんみたいな、日常生活の中にある負の感情を笑いに変えられる、コントなのだけれどリアルに近い会話のものをつくりたくて業界に入りました。このムービーでも、そうしたコントのフォーマットにのせたい。人を笑わせにいっているわけではなく、『こういうことあるよね、思うかも?』が笑いになっているものをつくりたいんです」

吉田さんは現在、願いが叶って憧れていたバカリズムさんや東京03の仕事を手がけていますが、自分の、自分らしい作品として『あの卓が気になる』があります。

その発想やセンスの原点である場所が、生まれ故郷の大分市。子どもの頃から、お母さんに聞かされていた言葉があります。

「母はアメリカ人で、ニューヨークのマンハッタン育ち。その母が『大分はすばらしい!』ってずーっと言っていたんですよ。こっちからしたら、マンハッタンのほうがヤバいじゃないですか(笑)。かっこいいし」

お母さん曰く、大分は「海も山もあって地産地消がすごい」、「小さなまちだけどそこで完結しているところがすばらしい」。お母さんの大分愛は吉田さんにもしっかり引き継がれていました。

「地元のことを卑下する人も多いじゃないですか。『うちの地元には何もない』って、よく聞く構文ですよね。でも私は、大分にはいろいろあるって思えていたんです」

しかし、中学、高校と、まちの厳しい現実も目の当たりにしていきます。

「もともと市街地育ちで、まちが廃れていくど真ん中の時代を生きていました。小中学校時代、大型スーパーやファッションビルがつぶれて、元気だったまちが寂しくなっていく過程を生で見ていました。それが悲しかったんです」

悲しく感じたのは、それだけ大分のまちが好きだったから。ただ、そのときは、現実を受け入れて暮らしていくのだろうと漠然と思っていたようです。

「大学で学びたいこともないし、進学することも考えていませんでした。高校を卒業して普通に地元で就職しようと思っていました」

それがあることがきっかけで学びたいものが生まれました。それは高校時代、地元・大分市の商店街の調査活動でした。



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