
凹凸の質感にインクのかすれ、
手作業でしか生み出せない印刷物。
〈高山活版社〉が考える「これからの印刷」
創業から115年。
大分市の発展とともに歩んできた印刷会社
JR大分駅から車で約10分。すぐそばに大分川が流れ、のどかな雰囲気が漂う場所に〈高山活版社〉のオフィス兼工場はあります。


1910年に創業した老舗の印刷会社である〈高山活版社〉。一度は技術の継承が途切れた“活版印刷”を11年前に復活させたことで、クリエイターの間で話題を呼ぶことに。活版印刷とは、活字を組み合わせてつくった凸状の版に圧力をかけて、紙にインクを転写する印刷方法のこと。
デジタル印刷が主流の今、時代の流れに抗いながらも、手作業でしか生み出せない魅力を伝えるため、さまざまな取り組みに励んでいます。

私たちを迎えてくれたのは、6代目代表取締役の高山英一郎さん。案内された2階の展示室には、これまで〈高山活版社〉が歩んできた長い歴史を、実際に手がけてきた制作物とともにアーカイブした空間が広がっています。


この展示室をつくったきっかけは、大分県が2022年から開始した、県内企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)の取り組みを支援する「おおいたDX共創促進事業」(通称「湧く沸くDXおおいた」※現在はこの事業はありません)へ参加したことでした。
「コロナ禍に『湧く沸くDX』を活用して自社のウェブサイトを制作するにあたり、ミッションやステイトメント(活動方針宣言)をつくったんです。SNSでその告知をするだけでは誰も見てくれないだろうと思ったので、実際に会社に来てもらおうと考え、このスペースをつくりました」

これまで手がけてきたものを“人の営みに寄り添う文具”と定義して、構成された展示の第1章では、〈高山活版社〉の歴史が大分県の歴史とともに紹介されています。
「この表は、自分たちでわかる限り書き出していったり、ヒアリングして調べたりして、つくり上げたもの。その作業を進めるにつれてわかっていったのが、大分市の発展とともに〈高山活版社〉も発展していき、今もなお変わらず続いているということです」

創業当時、印刷設備が一貫して整っていた環境は、大分市内で貴重だったことから、官公庁や議会の印刷物などを一手に請け負っていたと話す高山さん。また、それぞれに研究テーマを持っていた2代目と3代目が、地元の人たちとつくった文芸誌『あづさ』を自社で印刷して、発行していたといいます。
その後、第二次世界大戦によって疎開させた紙や活版印刷機が全滅し、社屋だけが残った状態から復興させるため奔走。さらに時が進むと、活版印刷からオフセット印刷が主流になり事業転換を図りました。
こうして一度は途絶えてしまった〈高山活版社〉での活版印刷の技術ですが、復活に至ったのは、こんな理由がありました。

「これからの時代、印刷会社が生き残っていくためには何か踏み出さなければという想いで、2014年に活版印刷を再び手がけることにしました。1979年の社屋移転の際に活版印刷の機械や道具はすべて手放していたのですが、5代目にあたる父が必要な機材を買い戻したんです。
その後、勉強会で知り合ったデザイナーさんにそのことをお話したら、『見てみたいです!』って会社まで来てくれて、とても喜んでくれたんですね。そこから大分県のデザイナーさんたちの間で広まって、県外で活動しているクリエイターさんたちからも依頼をいただくまでになりました」
今では、依頼人立ち合いのもと印刷の仕上がりを確認・調整する〈ともにつくる〉というサービスも始め、クリエイターの間で評判になっています。
