日本最強の城・岡城に
予約数年待ちの姫だるま。
宇賀なつみの竹田歴史さんぽ
どんなに多忙でも、少しの時間ができたら旅に出るほど旅好きなフリーアナウンサーの宇賀なつみさん。特集3回目となる今回は、大分県の南西部に位置する竹田市と九重町(ここのえまち)を訪れました。
難攻不落を誇った「岡城」と城下町を散策したら、県内最古の和菓子屋〈但馬屋老舗〉で小休憩。そして、縁起物の「姫だるま」の工房へ。竹田の歴史を巡る旅をお届けします。
難攻不落の堅城「岡城」の石垣で歴史ロマンに想いを馳せる
文治元(1185)年、豊後国大野郡緒方荘(現在の大分県豊後大野市)を治めていた武将・緒方三郎惟栄(これよし)が、源頼朝に追われた義経を迎えるために築城したとされる「岡城」。
作曲家・瀧廉太郎が少年時代、遊び場にしていたこの城をモチーフに『荒城の月』を作曲したと言われています。
1936年に国の史跡に指定された「岡城跡」があるのは、海抜325メートルの岩山の上。約100万平方メートル、東京ドーム22個分にもなる広大な敷地に築かれた堅牢な石垣群が、見る者を圧倒します。
800年の長きにわたり、難攻不落とされた「岡城」が廃城したのは1874年のこと。その前年に交付された廃城令により、城内の建物はすべて取り壊されてしまったのです。
登城口から登り始めて5分ほどすると、見えてきたのは城の正面玄関である「大手門跡」。ヨーロッパの古城や、ペルーのマチュピチュ遺跡を思わせる荘厳な空間が広がります。
「ちょっと待って、すごい! こんな切り立った山の上に、よくこれだけ立派な石垣をつくりましたね。(稲葉川と白滝川の)ふたつの川に挟まれたロケーションは、以前訪れたスイスのベルン旧市街地みたい」と興奮する宇賀さん。
「三の丸跡」の北側から「二の丸跡」にかけては、せり出した高石垣が屏風のようにジグザグと屈折しながら続く絶景ポイント。2方向から矢を放ったり、鉄砲を撃つことができるだけでなく、防御もしやすいことから、攻守にすぐれた構造と言われています。
これら断崖絶壁の天然の要塞と、その上に築かれた石垣群こそが、「岡城」が“難攻不落の堅城”と言われる所以です。
「大手門跡」から「籾倉跡」「三の丸跡」「二の丸跡」と巡ってきた宇賀さんが最後に訪れたのは「本丸跡」。藩主の住まいである本丸御殿や、櫓などが建っていた重要な場所ですが、今は、中川秀成(ひでしげ)が入城した際に移転建立し、歴代の藩主が守り神として崇拝した「岡城天満神社」が静かに佇んでいます。
「岡城」が攻められても落ちなかったことから「受験に落ちない」と言われ、学業のご利益があるそうです。
「本丸跡」には、歴史探訪以外のもうひとつのお楽しみも。それは、白滝川の向こうを走る国道502号に設置された音響道路(路面に溝を刻み、その上を車が一定速度で走ると、タイヤとの摩擦で音楽が流れてくる道路のこと)から流れてくる音楽。
耳を澄ませば、車が通過するたび『荒城の月』が風に乗って聞こえてくるんです。
「観光地にありがちな整備された様子がなく、当時の面影がそのまま残されているところに感動しました。安土桃山や江戸時代の人たちと同じ景色を見ていると思うと不思議な気分ですね。そして、何より高い! 石垣の端に立って下をのぞくと足がすくみました」と宇賀さん。
「岡城跡」は「日本さくら名所100選」にも選定されており、お花見の時期の美しさは格別。もちろん夏は目にも鮮やかな緑、秋は紅葉、冬は雪化粧した石垣を見ることができ、四季折々の楽しみ方ができそうです。