連載|大分じかん
平安時代から1000年以上変わらぬ
平安時代から1000年以上変わらぬ
「田染荘の田園風景」
かつて宇佐八幡宮の荘園として発展
ここ数年、「住みたい田舎」ランキングが発表されるたび、上位にランクインしている大分県豊後高田市。豊かな自然や昭和レトロなまち並みが魅力のひとつとなっている同市の一角に、平安時代から変わらない風景があります。それが、国東(くにさき)半島の西側に位置する田染荘(たしぶのしょう)です。
かつて国東半島には、古代の律令制で定められた郷(ごう)と呼ばれる行政単位が6つありました。田染郷はそのひとつ。743年に発布された墾田永年私財法によって水田開発が進んだとき、この地区では土地の形状を利用し、曲線を描く美しい水田が開墾されたのです。
これらの水田は当時、九州の総面積の約3分の1を占める荘園(しょうえん)を所有していた宇佐八幡宮の支配下となり、田染荘が誕生しました。きれいな水と肥沃な土地が育むおいしいお米を生産する田染荘は八幡宮から大切にされ、「本御荘十八箇所(ほんみしょうじゅうはちかしょ)」と呼ばれる根本荘園(こんぽんしょうえん)のひとつとなりました。
現在の田染地区がその荘園であり、なかでも田染荘小崎(おさき)と呼ばれるエリアは、耕地や村落のかたちが現在まで1000年以上続く「中世荘園村落遺跡」として、往時の景観をとどめています。
また景観だけでなく、地区の中心地でもある「台薗(だいそん)集落」には、中世から残る地名や屋号があり、ほとんど変化のない土地の区画から、荘園を管理した荘官の屋敷跡などを特定することもできるのです。
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