鳩笛、福獅子、だるま鈴。
愛され続ける土人形。
土人形作家・宮脇弘至さん
品よくかわいく縁起もいい。大分の人形文化を伝えたい。
シンプルな形、きれいな色、ちょこんと描かれた小さな目。それだけなのに、どうしてこんなに愛くるしいんだろう? 土でできた手のりサイズの焼き物は、軽く振るたびコロコロ高い音が響きます。聞けばその名は〈みくじ鳩〉。かわいいだけじゃなく、なんだか縁起もよさそうです。
「かわいいでしょう。好きになっちゃうでしょう。でも、この人形を一番好きなのは、たぶん僕なんだよね」と笑うのは宮脇弘至さん。別府市の工房〈豊泉堂〉で土人形をつくり続けて40年。型づくりや成形から焼成、絵付けまで、すべてをひとりで手がけています。
工房にお邪魔すると、まず目が合ったのが紅白の〈福獅子〉。か……かわいい! 消しゴムくらいの大きさで、よく見ると口が「阿(あ)」「吽(うん)」の形になっています。原型は、かつて豊後地方で厄よけや豊作を願って舞われたといわれる“豊後福獅子”をかたどった縁起物。そう、宮脇さんがつくっているのは、大分の郷土玩具をもとにした人形なのです。
郷土玩具とは、江戸時代より各地の神社や街道沿いで、土産物や縁起物、魔よけのお守りとしてつくられていたもの。中を空洞にした素焼きに絵付けをした「土人形」や、紙でできた「張子人形」が知られていますが、時代とともに廃れてしまったものも少なくありません。宮脇さんは、大分県各地に残る郷土玩具をもとに、時代にあったアレンジをしつつ復元しているのです。
「昔の福獅子は木彫りだったのですが、それを土人形にしたのが僕の福獅子。長年つくっているうちに、形や表情もだんだん丸くかわいく変化して、現在のもので4代目ですね。郷土玩具の雰囲気やイメージは残しながら、今の人にも理解される姿にするのが僕のやり方。そのものずばりの形を受け継ぐというより、“大分には昔から、こんなふうに愛されてきた人形があるんだよ”ということを伝えたくてつくり始めました」
名古屋市出身の宮脇さんが大分県別府市に移住したのは20代前半の頃。「土人形に関わるようになったのは、問屋の仕事を通じて職人さんと出会い、自分にもできるんじゃないかと思っちゃったのがきっかけです」
ひと通りの工程を教えてくれた職人は、伝統にのっとってきっちり真面目につくるタイプだったけれど、「僕は勝手きままにやるのが性に合っていたんですよね。28歳で独立して、僕らしい人形を好きなようにつくることに決めました」
最初は全然売れなかったけれど、時代はちょうど温泉天国・由布院の人気が出始めた頃。〈玉の湯〉や〈亀の井別荘〉といった人気旅館が宮脇さんの人形を売店で扱うようになり、その名前がぐんぐん知れ渡りました。
「東京に行ったとき、民藝品を扱う〈銀座たくみ〉や〈備後屋〉へ遊びに行って人形を見せたら、“君のような若い人が郷土玩具をつくるのはいいことだ”と置いてくれて。僕は本当に運がいい。人に恵まれているんですよね」