
国東半島の身近な素材を使ってつくる器。
〈くにさきかたち工房〉垣野勝司さん
自宅のすぐ隣の田んぼで米を自家栽培。
海と山に挟まれ、土とともにある暮らし
瀬戸内海に、タコの頭のような形で突き出している国東(くにさき)半島。その頭のてっぺんの位置に、〈くにさきかたち工房〉はあります。工房を開いたのは、2012年に千葉県から国東市に移住した垣野勝司(かきのかつし)さん。海にも山にも近い豊かな自然に囲まれた場所に暮らし、さまざまな技法を試しながら、身近にあるものを使って作陶しています。

垣野さんは東京の美術大学の工芸工業デザイン科出身。大学を卒業した20代の頃、千葉の実家近くのテナントを借り、友人たちの作品を集めたクラフトショップを始めます。ただ、手づくりのものはどうしても高価になってしまい、販売に結びつかないことが多かったとか。そこで「手軽な価格の、手に取りやすいものをつくろう」と始めたのが、焼き物。作陶のきっかけになりました。
陶芸教室も開き、2004年からは千葉や東京でも個展を開催。飲食店の食器も手がけるようになっていました。そんななか、東日本大震災を経験します。当時はお子さんも幼く、安心して子育てと生活、作陶ができる環境を求めて選んだのが九州。なかでも、当時としては移住政策が進んでいた大分県で物件を探し始めます。
「大分が一番、空き家物件を紹介していたんですよ。いろいろ見て、結局ここに落ち着いて。あの家があったことが大きいかな」


ネットで見つけたという大きな古民家は、すぐそばに緑深い山々があり、数十メートル先は穏やかな瀬戸内の海が広がっています。
「僕は千葉の出身ですが、この辺りの雰囲気が房総半島に似ていて、“馴染みがいいかな”って。山がそんなに高くなくて、海が近くて」
2012年に家族とともに移住。この地を選んだきっかけとなった大きな古民家は、自宅兼工房、展示ギャラリーとなりました。


古民家を中心に、海側には2か所、計1反1瀬の田んぼが。
「家のすぐ隣が田んぼというのは、珍しくて。すごくラッキーでした」
田んぼでは、家族で食べるための米を自家栽培しています。5瀬の畑もあり、現在は奥様が畑の担当。自宅で食べる季節の野菜は、家を出るとすぐの畑で収穫できます。
「本当はもっと畑もやりたいけど、いまは余裕がないですね」

千葉で作陶をしていた際にも、陶器の周りに稲藁を巻いて焼き、独特の模様を出す、備前焼の「火襷(ひだすき)」の技法も取り入れていたのですが、「自分がつくった藁を使いたい」という思いもあったという垣野さん。すぐそばに田んぼがある大きな古民家は、理想の物件でした。
