いつかは“大分観光ギャル大使”に!
お笑いトリオ〈ぱーてぃーちゃん〉信子
ギャル男とギャル2人からなる異色のお笑いトリオ〈ぱーてぃーちゃん〉。2022年に出演した、ブレイク芸人の登竜門と呼ばれるバラエティ番組『ぐるナイおもしろ荘(日本テレビ)』での活躍を機に、たちまち人気者となり、大分でもトリオ初の冠番組を持つなど大躍進。
ボケを担当する信子さんは、実は大分市育ち。“大分県は青春のすべてが詰まった大切な場所”と語る信子さんのお気に入りのスポット、メンバーもリピートがとまらない地元グルメ、最後には意外な大きな野望まで!? 大分愛をたっぷりと語ってもらいました。
大分は青春時代のすべてが詰まった場所
3歳から18歳まで大分で過ごした信子さん。青春のすべてが詰まった大切な場所はたくさんあるそう。「もともとは父が大阪に代々続く徳川家ゆかりの血筋で、以前テレビで話をして話題になったことがあったのですが、33億円で建てた大阪の大豪邸に私も3歳まで住んでいました。大分は母の故郷で、そのあと家族で引っ越して18歳までの15年間を大分で過ごしました」と当時を振り返ります。
そんな信子さんが、現在の芸風でもあるギャルに目覚めたのは小6の春休み。髪を金髪に染めて“中学デビュー”しました。
「大分3大ショッピングモールの〈パークプレイス大分〉〈トキハ わさだタウン〉〈ゆめタウン別府〉は青春のすべて! 映画を観たり買い物したり、友達と集まってプリクラを撮ったり、思い出がたくさん詰まってます。当時、大分の若者に人気だったフリーペーパー『CHIME(チャイモ)』のスナップにどうしても載りたくて、大分駅近くの〈若草公園〉に、お気に入りの服を着てよく出没してましたね」
信子さん一押しの“大分のソウルフードたち”
山と海に囲まれた大分県は、とり天、だんご汁、やせうま……。ごはんが全部おいしい。しいたけも肉厚で一度は絶対食べてもらいたい! と胸を張る信子さん。特に好きな地元グルメは〈吉野鶏めし〉だそう。
大分県の中南部に位置する大分市吉野地区に古くから伝わる鶏めし。かつては客人をもてなすためのごちそうとして、また農作業の打ち上げや祭りなど人々が集うときに欠かせない行事食として、各家庭で受け継がれてきました。1988年には〈吉野鶏めし保存会〉が誕生し、今では大分を代表する郷土料理のひとつとして全国でも知られるように。
「実家に帰ると絶対に家族が買っておいてくれるんです。具材は 鶏肉とゴボウのみで、シンプルだけど、どこか懐かしくてまさにふるさとの味ですね」
ひと口頬張ると、思わず笑顔になる。信子さんにとっては〈吉野鶏めし〉は大分を思い出す唯一無二のご当地グルメ。ほかにも大分を訪れたらぜひ食べてほしい、おすすめのお店があるそう。
大分のソウルフードと太鼓判を押すのが、〈ポッポおじさんの大分からあげ〉。「特に一押しは、『元祖 塩からあげ』と『にんにく醤油からあげ』。大分市内にいくつもお店があるから、しょっちゅう買ってたな〜!」
いつでも等身大!
ありのままの自分でお笑いができています
信子さんがお笑い芸人を志すにいたった原体験も、大分時代にありました。
「毎週土曜日の午後に放送されていた『吉本新喜劇』です。当時土曜日は午前中だけ授業があって。学校終わりに配られていたオレンジジュースの紙パックを握りしめながら猛ダッシュで帰宅して、テレビの前にスタンバイ。お笑いは子どもの頃からずっと好きでしたね」
18歳で「なんか暇だな」と思いたち上京。しばらくBARや星付きレストラン、アパレルショップなどで働き、22歳でワイン修行のために渡仏しようか迷っていたとき、「日本で最後にやり残したことない?」と考え、『お笑い芸人だ!』とひらめいたそう。所属事務所が運営する芸人養成所の扉を叩きました。
「南海キャンディーズの山ちゃん(山里亮太)がずっと私の目標で。『M-1グランプリ2004』の決勝戦を見て、なんだか新しいお笑いをやっている! ツッコミかっこいいな」と衝撃を受けたんです。
だけど事務所の先輩・すがちゃん最高No.1と、同期の金子きょんちぃと〈ぱーてぃーちゃん〉を結成したとたん、リーダーもツッコミも向いてないからと、秒でクビに……(笑)」
有吉弘行さんには「まるで令和の安田大サーカス」と評されて、「なんてこと言ってくれてんだ(笑)」と憤った日もあったと振り返ります。
「でもいま思うと、〈ぱーてぃーちゃん〉としての信子はほぼ素だし、生きてきたまんまの、ギャルな自分でお笑いができるから、すごくやりやすいです」