〈井上酒造〉の〈旬のフルーツリキュール 桃〉
連載|おおいた食手帖

水郷日田の水と米で醸す〈井上酒造〉。
県内初の女性蔵元杜氏が極める、
革新的な酒づくり

Posted 2023.12.28
Instagram X Facebook

江戸時代には九州の交通の要衝として西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)が置かれ、江戸幕府直轄(ちょっかつ)の天領として栄えた日田市。日田盆地の寒冷な気候と、天然の地下水はおいしい酒を生み出すのに適しており、古くから酒づくりが盛んな地域でもありました。今回訪ねたのは、そんな自然の恵み豊かな水郷日田の地で、1804年に創業し、200年以上にわたって、その長い歴史を紡いできた蔵元〈井上酒造〉です。

日田市の名水と豊かな自然で育む。
県内唯一の清酒の女性杜氏を訪ねて

〈井上酒造〉は、酒本来の味を楽しめる「最後まで飲み飽きない酒」を目指して、環境や素材にこだわり抜いたおいしさを届けています。なんと蔵人自ら酒の原料となる米づくりから行っているというから驚き。さらにこだわっているのが、田んぼの水。蔵元のある、大鶴谷周辺の耶馬渓(やばけい)層と呼ばれる火山岩でゆっくりと濾過された、清く澄んだ天然水を田んぼに引いて米づくりを行っています。

〈井上酒造〉の蔵前に広がる田んぼ
蔵の前に広がる田んぼで、日々愛情を込めて米を育てています。

しかもこの水、酒づくりの「仕込み水」に使用されているのと同じもの。「仕込み水」は、米に並ぶ日本酒の大切な主原料であり、酒の質や味わいを左右する重要な成分です。

「地下150メートルから汲み上げて、仕込み水を直接田んぼに流し込んでいます。この自然豊かな蔵の立地にも感謝ですね」と笑顔で話すのは、井上酒造の社長であり、杜氏(日本酒製造責任者)を務める井上百合さん。

〈井上酒造〉7代目社長・井上百合さん
2018年から〈井上酒造〉7代目社長を務める井上さん。大分県唯一の清酒の女性杜氏として独自のポリシーを持って蔵元経営に取り組んでいます。

育てているのは、栽培が難しいといわれる〈山田錦〉や〈雄町(おまち)〉。茎が長くて倒れやすく、穂から籾(もみ)がばらばらと落ちやすいなどの特徴から手間はかかるものの、酒づくりに適しているといわれています。

倒れた稲穂の束を手に笑顔の井上さん
手間のかかる米づくりも、「第二の子育てみたいで楽しいですよ!自分たちで育てたお米への愛情や思い入れもひとしお。大変なほどやりがいもあります」と、この笑顔。〈雄町〉は背丈が高く倒れやすく、蔵人たちが何度も稲を起こします。いくつかの稲をまとめて穂先で縛り、束になった姿はなんだかかわいらしい。

かつて女人禁制だった酒づくりの世界で、1997年に母・睦子さんが社長に就任。その後、2018年に井上さんが社長を引き継ぎ、同時に杜氏となりました。

「これまで家業は歴代の長男が継いでおり、私は二人姉妹の長女。後継ぎの自覚はありましたが、『一度は外の世界を……』という父の勧めもあり、福岡県で就職。そこで出会って結婚した夫が東京都勤務になり上京し、子育てをしながら結局そのまま約20年間、専業主婦として暮らしていました」

転機は、ひとり娘・華子さんの20歳の誕生日に訪れます。

「ある日、成人を迎えた娘から食事に誘われたんです。そこで『これまで育ててくれてありがとう。今、日田に帰らなかったら一生後悔するよ。これからはママの人生を歩んでほしい』と言われたんです。日田市や家業への思いを娘に話したことがなかったのですごく驚きましたが、同時に、親にアドバイスしてくれるほど立派に育った娘が誇らしかったですね」

酒樽を活用した椅子に座る井上さん
従業員がつくったという酒樽の椅子。井上さんはここによく座って休憩するのだとか。

娘さんに勇気をもらった井上さんは、2014年3月、心機一転、日田市へ帰郷。新たな人生のステージが幕を開けたのです。しかし、経営はもちろん、酒づくりもまったくわからない状態でのスタート。専務として家業に従事しながら、当時東京都北区(現在は広島県に移転)にあった独立行政法人〈酒類総合研究所〉に入所し、研修生として約2か月間、合宿しながら酒づくりを学びました。

世代を超えて受け継がれる、
酒づくりへの情熱とこだわり

蔵正面横の通路
蔵開きなどのイベントが行われる、蔵正面横の通路。四季折々の風景が見られ、秋には百年紅葉が真っ赤に色づきます。「馬車道」と呼ばれ、昔はここから清酒を運ぶ馬が通っていたため、広くつくられているそう。井上さんは、ここに立つたびに「100年後の人々に何ができるだろう」と考えさせられ、気持ちを新たにするといいます。

日々覚悟と情熱をもって酒づくりに励む〈井上酒造〉では、清酒、焼酎、リキュールを扱っており、どの商品にも歴史とストーリーがあります。そんな〈井上酒造〉の柱ともいうべき3本の酒と、2017年に誕生した旬のフルーツ果汁たっぷりのリキュールについて、井上さんがおすすめのポイントを教えてくれました。

〈井上酒造〉の焼酎と清酒2種のボトルが並ぶ
(写真左から)焼酎〈初代 百助〉720ml 1100円、清酒〈角の井 純米吟醸〉720ml 1760円、清酒〈百合仕込み 特別純米 雄町(季節限定)〉720ml 2200円(2023年12月現在)。

●初代 百助(ももすけ)

「100%大麦を使用し、蔵の天然地下水で仕込んだ〈初代 百助〉は、まろやかな甘みと、麦の香りを感じる軽やかな風味が特徴。『嫌いな人はいないんじゃないかな』というほど飲み飽きない味わい。『百助』は初代当主の名前で、井上酒造を代表する麦焼酎です」

●角の井 純米吟醸

「井上酒造の屋号である〈角の井〉を冠した清酒。200年以上続くこの地で、代々の杜氏が受け継いできた伝統の技で醸した純米吟醸。淡麗でうつくしくすっきりとした後味に仕上げました」

●百合仕込み 特別純米 雄町

「自家栽培米の〈雄町〉を使用して、丹精込めて仕込んだ純米酒。“百合”は私の名前で、名前からやさしくて華やかな酒を想像される方が多いのですが、むしろ逆。豊潤で、どっしりと力強い、余韻の残る味わいです」

香水のようなボトルも特徴の〈旬のフルーツリキュール 桃〉
〈旬のフルーツリキュール(桃)〉180ml 1000円。

●旬のフルーツリキュール(桃)

「きっかけは、2017年の九州北部豪雨を受けて、水害復興フェアで販売されていた〈みなみの里〉さんが販売されていた桃のジュース。ひと目惚れして大人買いし、そのおいしさが忘れられずに生産者さんを訪ねて、『リキュールをつくりたい』と直談判しました。その後コロナ禍で、世間が暗くなったりするなか、『冷蔵庫をあけてワクワクするようなお酒にしよう』ということで、かわいらしいお酒になりました」

このように愛情とこだわりがたっぷり詰まった酒がつくられているのが、清酒蔵。1964年、東京オリンピック開催の年に建てられたことから〈五輪館(ごりんかん)〉と名づけられています。

〈角の井〉と大きく書かれた蔵の壁
屋号である〈角の井〉の「井」は井戸の井。敷地内に湧く矩形の井戸から、この屋号がついたそう。井戸からは現在も井戸水が湧き出ており、〈井上酒造〉の大事な場所として存在しています。
もろみと呼ばれる仕込み工程
もろみと呼ばれる仕込み工程も大切な工程のひとつ。酒母に、麹米・水・蒸米を3回に分けて仕込んでいきます。

清酒蔵〈五輪館〉に入ると、漂う濃厚な香り。ここで1日も休むことなく、おいしい酒がつくられています。麹づくりの時期には「麹たちの“声”を聞くため、麹室に寝泊まりする」といいます。これほど手間暇がかかり、相当な苦労があっても元気で笑顔を絶やさない井上さん。そのパワーの源について聞いてみると、意外な答えが返ってきました。

「酒をつくると言いますが、私たちがつくっているわけではなく酵母や麹が酒をつくるんです。私たちはただそれを手伝っているだけ。その度合いを確認しながら成長を助けたり、休ませてあげたり、我が子を支えるような気持ちです」

〈百合仕込み〉の搾りの工程
取材時は、2023年秋の〈百合仕込み〉が完成間近のタイミング。「槽(ふね)搾り」と呼ばれる昔ながらの製法で、タンク内で発酵を終えた麹は無理な圧力をかけずに自らの重みでゆっくりと搾り、丁寧に手作業で行われます。〈百合仕込み〉は通常のタンク10分の1ほどで仕込む、わずか200キログラムの極小造り。

代々受け継がれてきた技術や材料、どれをとっても、すべて手を抜かずに、最高の清酒をつくることに費やされているのです。

清酒蔵2階で展示される昔使われていた道具類
清酒蔵の2階には昔の道具類を展示。毎年柿渋を塗って大切に保存されています。

遺品資料展示館〈清渓文庫〉の外観
【 Next Page|歴史を守り、
未来を見据えた酒づくり 】

この記事をPost&Share
X Facebook