福田さん宅のキッチン
連載|あの人に会いたい!

愛する耶馬溪のよさを
グッドアイデアで届ける
アートディレクター/デザイナー福田まやさん | Page 2

Posted 2021.05.18
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決断力と行動力で極めた、グラフィックデザイナー道

まやさんがグラッフィックデザイナーになりたいと思ったのは中学3年生のとき。

高校に入学してみるも、美術の授業は数少なく「もっと社会で勉強したい!」と自主退学。退学後、知り合いの印刷会社へ見習い修業へ。

「3か月の見習いが終わったあと、16歳で奈良で観光業の会社に入社したんです。社長直属のデザイン企画室に配属されて、ホームページのデザインやお土産の企画など、いろいろなことをやらせてもらえました」

在職中、勉強のためにと参加したグラフィックデザイナーの奥村昭夫さんのワークショップをきっかけに、大阪の〈IMI(Inter Medium Institute)インターメディウム研究所〉を受験し、会社員として働きながら、IMIでグラフィックデザインやアートの勉強をスタート。

森を散策中の福田さん
IMI時代の友人とはいまも交流があるそう。家の裏手にある、まやさんお気に入りの森の中の広場では、夏になると当時の友人知人をたくさん呼んで「やばフェス」というイベントを開催しています。
水が透き通った川
夏にここから飛び込むのが最高! だそう。子どもたちの絶好の遊び場です。

「3年間IMIで勉強したあと、フリーで仕事をしていたのですが、もう少し大きな仕事がしたいなと思うようになって。東京の広告代理店や事務所にいくつか応募したら、目黒にある外資系の広告代理店に入れることになったんです。それが24歳くらい」

すでに現在の夫の毅さんと京都で暮らしていたまやさん。「じゃ、2~3年東京に修業に行ってくるわ!」と単身赴任での上京。会社では大きなクライアントのプロジェクトに参加し、デザインした広告が渋谷の大看板になるなど、大変ながらも刺激的な日々を送っていました。そんな、上京からちょうど1年が経過した2011年の3月。

「3月11日、会社のあった目黒の高層ビルがめっちゃ揺れたんですよ。小さい頃にあった神戸の震災を思い出したり、たくさんの人が亡くなったり、すごくショックで。そのときに、“いつかこうしよう”と思っていても何があるかわからないんだ、と思ったんです。いつかと考えていた耶馬溪への移住は、いつかじゃなくていまだ、と強く思いました」

毅さんの住む京都の家へ戻り、耶馬溪の人たちに移住を相談。家を建てる場所を決め、2012年の2月に現在の場所へと移り住みました。しばらくは自分たちの家をつくりながら耶馬溪暮らしを満喫していましたが、しばらくすると移住資金も底をつきそうに……。

ご夫婦でセルフビルドした自宅
まやさんの家はなんとご夫婦渾身のセルフビルド! 手前に見える煙突は薪でお湯を沸かすウッドボイラーのもの。お湯はお風呂だけでなく冬の床暖房にも活用しています。
キッチン
キッチンにある造りつけの戸棚や引き出しなど、自分が欲しいと思ったものはIllustratorで図面をひいて設計したそうで、こんなところでもデザイナーのスキルを発揮。
壁のデコレーション
細かいところにもまやさんたちのこだわりが。

「じゃあちょっと出稼ぎしてくるわ!」と福岡の広告代理店と契約して、在宅でデザイン仕事をするように。そこから地場企業の仕事を受けるようになり、少しずつ九州圏内の仕事も増えてきたそうです。

「子どもが生まれたあとは独立。そのあと、大分県の『CREATIVE PLATFORM OITA』という事業が始まりました。その事業に大分県の事業者とデザイナーを結んでプロジェクトを進めようという取り組みがあって、そこから大分の仕事がメインになってきました」

手がけた冊子やパンフレット
ショップのロゴやブランディングなどをやりつつも、大分県への移住者を特集した冊子の編集や地元耶馬溪のパンフレットのデザインなど。これまでまやさんが手がけてきた大分仕事の数々は〈星庭〉のサイトでも見ることができます。
自作のウッドデッキ
森の中に浮いているかのようなウッドデッキ。これも自分たちでつくったそう。

「耶馬溪トンネルホテル」の参加者
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