
愛する耶馬溪のよさを
グッドアイデアで届ける
アートディレクター/デザイナー福田まやさん
10代で耶馬溪(やばけい)移住を考えるようになったワケ
耶馬溪の木々の新緑に藤の花が彩りを添える春の日。私たちは、2012年に大分県北部の中津市耶馬溪町に移住したアートディレクター/デザイナーの福田まやさんを訪ねました。
福田さんが暮らす集落は、手彫りのトンネルとしても有名な青の洞門から車で約25分ほど。土産屋や食事処が立ち並ぶ観光地然とした界隈を過ぎて、いくつかのトンネルをくぐり抜け、棚田の並ぶ山道をグングンと登っていくと、木漏れ日の中に佇む家がありました。


まやさんは、奈良市内の春日大社や大仏などの観光地にほど近い新興住宅地で生まれ育ちました。大分との出会いは思いのほか早く、10歳の頃から毎年この耶馬溪の集落を訪れていたそうです。
「もともと母の友人が耶馬溪に移住していて、ゴールデンウィークの時期に毎年遊びに来ていたんです。子どもの頃、行きがけのバスから見えた山々にかかる朝靄の景色は、いまでもはっきりと覚えています。
ここでは川遊びや、猟師さんが仕留めたとれたての鹿を食べたり、しいたけの収穫をしたり、それにもちろん温泉も! それがとっても楽しくて。10代の後半あたりから、いつかはこういうところに住みたいなと思うようになっていました」

年に1度、旅行先の耶馬溪で過ごす日々は「暮らす」ような体験だったと振り返るまやさん。当時から集落の人々との交流もあったことから、移住する際もすんなりと溶け込むことができたそうです。


私たちが訪れた日は、月に2回開催されている集落のイベント「農家食堂」の日。
まやさんの家の隣に木工所を構える中島信男さんたちの呼びかけで始まった、集落のみなさんで集まって、食卓を囲むというものです。



この日集まった人々の顔ぶれを見ると、昔からここに暮らすおじいちゃん、おばあちゃんを中心に、30~40代の移住者も。和気あいあいと同じ皿のピザを頬張ります。

「この集落のおじいちゃん、おばあちゃんたちって外から来る人に対して全然閉じてないんですよ。それに、ほかの地域に比べるとこまめによく集まるんです。
この辺りではいろいろなお祭りなども残っているし、“たのもし(頼母子講)”といって毎月公民館に集まって、みんなからお金を集めて、クジで当たった人がそのお金をもらえる互助文化が残っていて。いまはクジですが、昔は、たとえば子どもが大きくなって自転車を買いたいという家庭にその集めたお金をあげていたとか。日々助け合っているというか、集落がひとつの共同体という意識があるのかも」

